アスペ子と社会生活〜依存・その2〜

(その1からの続き)

その後はBさんと夜だけ会うようになりました。

ただしBさんは妻帯者。夜の12時には帰宅します。日祝日は(たまに土曜も)会いに来ません。

アスペ子にとって気楽で、しかも離れていない依存できる人がいるというのはとても心地よいものでした。

 

都合の良い依存方法だった?

どこかへ出かける時はクルマの助手席の足を置く部分に隠れ、サングラスをして、遠くのパチンコ屋に行ったり、何か食べに行ったり、温泉に行ったりしていました。

面白いもので、約9年間付き合っていたのにも関わらず、誰かにハッキリ見られたことはありませんでした。

そんな毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかったように思います。

でも辛いこともありました。いて欲しい時にいてくれない、なんで離婚したいと言っているのに離婚しないのだろう、アスペ子は聞きたくても口に出せませんでした。

そんな小さなストレスが少しづつ溜まってきた頃に妊娠しました。

Bさんは産めとも産むなとも言いませんでした。アスペ子は昭和の時代のように産んでどこか住み込みで働こうかなと真剣に考えました。でもやっぱり中絶しました。

とても悲しかったです。その後ももう一回妊娠して中絶しました。この時はもう作業的な感覚でした。

計3回目(Aさん1回、Bさん2回)の中絶をする前に、ファミレスでBさんは「二人分なんだからしっかりたくさん食べろよ」と言いました。

その言葉を聞いた時、アスペ子の頭の中で何かがうまれました。それは大学生の時にお酒を飲んだ時にあったもの、一点の冷静なものに似た感覚でした。多分、この時にアスペ子は、Bさんとの間に見えない一線を敷くようになったと思います。

 

長続きしない依存だった・・・

アスペ子も30歳近くなってくると段々と「一点の冷静なもの」が大きくなり、小さいストレスが段々と大きくなり、Bさんから離れることを考え始めていました。

その一つにパソコンの普及がありました。当時、兄からのお古のパソコンを使っていたアスペ子は、深夜11時からパソコンをするようになりました。そのため、必然的にBさんはその頃帰宅するようになりました。

そしてもう一つ、テレクラの普及です。全盛期といってもいいくらい、狭い街にテレクラがひしめきあっていました。

アスペ子はまずテレクラ遊びにはまりました。相手が見えず、言いたいことが言える、面白くて毎日のようにかけまくっていました。

それだけでは飽き足らず、Bさんの来ない日には電話の相手と会い性行為をしました。

30人くらいまでは会った人の数を数えていましたが、途中から数えるのが面倒になり数えなくなりました。お金をくれる人もたまにいましたが、そういうお金は羽が生えていて、すぐに消えていきます。

なぜそんなにたくさんの人と性行為をしていたのかというと、単純に性行為をしたいために会ったのではありませんでした。Bさんのせいにはしたくないですが、ストレス発散と、アスペ子の小さい頃からの願い、つまり違う自分になりたかったのとがあります。

そして、悪いことをしているとも思わず、Bさんの次に誰か依存できる人を必死で探していたのでした。

 

Bさんから受けたDVの結果・・・

そんな日々が半年以上続くと、Bさんは段々アスペ子の気持ちが薄れていっていることを感じ取り、束縛するようになりました。時には暴力もありました。

アスペ子はもう限界だと痛感し、Bさんから心が離れました。Bさんは完全に依存の対象から外れたのです。

ちょうどその頃テレクラから離れてパソコンにはまっていたアスペ子は、ひょんなことからパソコンで今の主人と出会い、メールのやり取りをするようになりました。遠距離でしたがメールでしたので全くストレスなく続けることができました。

主人とはメールだけでは物足りなくなって次は電話になりました。

しかし遠距離なので電話代がものすごくかかり、最終的にはアスペ子の休みの土日に、アスペ子が新幹線に乗って会いに行くようになりました。もちろん1泊2日で。そういう時はBさんには「母親の介護で実家に行く」と嘘をついていました。

主人と時々会うようになったアスペ子は、主人に包み隠さずBさんのことを相談していました。きっと障害のせいでしょう、話し始めたら止まらなくなっていたアスペ子の話を主人は「うんうん」と聞いてくれました。時には適切なアドバイスもしてくれました。

主人とアスペ子は、いろいろな話をする中で、遠距離でお金をかけて時々会うくらいなら一緒に住もうか?というノリで結婚することに気持ちが動きました。アスペ子にしてみれば願ったり叶ったり。一生依存できる人が見つかったのですから。

問題はBさんです。アスペ子の中では依存の対象外になったBさんとは、もう会いたくもないし、顔も見たくない気持ちでいっぱいでした。そう思っていた時にタイミングよくBさんが暴力を振るいました。

アスペ子は「もう別れたい、家の鍵を返して!」と吐き捨てました。

Bさんは必死の形相で謝っていましたが、アスペ子は頭の中の一点の冷静な部分がとても大きくなり、別れようしか言いませんでした。

結局、Bさんは家の鍵を返してくれ、そのまま帰って行きました。

アスペ子の頭の中には「解放」という言葉の他に「不安」の文字も浮かびました。明日の朝、Bさんが家の外で首を吊っていたらどうしようとか、そんなことを考えて夜も眠れませんでした。でも、Bさんも妻帯者だし、そんなに馬鹿な人ではないので、その後は何事もなく日々が過ぎて行きました。

その間、主人とアスペ子は善は急げで、年明けに入籍することにしました。両家の両親親族とも顔合わせを済ませ、会社には母親の介護のために退職すると嘘をつき、目出度く年末に退職し、Bさんからも解放され、長い一人暮らしが終わりました。

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発達障害と仕事

Posted by アスペ子