引越し〜その1−2〜

働く場所、運動クラブのピックアップは2カ所にしました。

最初に近くの方を面接し、合格。でも速攻で断ってしまいました。なぜならば、そこの面接担当の人がアスペ子のことを知っていたからです。

アスペ子にとって最も最悪な状況でした。アスペ子は不器用だし、完璧になんかできないのに、知っている人がいれば「なんでできないんだ」と呆れられる、笑われる。ここには来れない!いわゆるパニック状態になってしまっていました。

もう一つの面接場所が受からなくてもここだけは嫌だとさえ思いました。それに分厚いマニュアル。またしても目眩が起こってしまいました。

覚えることなんてできない、なんでこんなにアスペ子が苦痛を味あわなければいけないの?帰路はそんな気持ちでいっぱいでした。

 

アスペ子は運動クラブでのパートはできるのか?

2つ目の運動クラブの面接に行きました。

場所は電車を乗り継いで行くのですが、アスペ子には苦になりませんでした。面接の感触はよく、後日、連絡しますとのこと。そして合格しました。

早速サブとして指導にあたり、その時間にあったことをメモ書きして、一人でも指導ができるように必死で覚えました。休憩時間には古い分厚いマニュアルがあり、皆んなで見ようみたいな感覚だったので、それを最初から最後まで読みました。

そしていよいよ一人での指導が始まりました。子供が苦手、初めての指導、いろいろ不安がありましたが一生懸命頑張りました。もうこれで最後だくらいの思いで臨みました。

無事に指導が終わってホッとしているのもつかの間、次のクラスがやってきます。アスペ子は指導の流れを頭の中に必死に引っ張り出し、次の指導に臨みました。

この運動クラブはアットホームで指導員が少なく、サバサバとした雰囲気だったので、アスペ子も無理して話すことをしなくても良かったので、なんとかやっていけました。時々はコミュニケーションが取れなくて苦痛な時もありましたが、今になってみると、それを子供達がフォローしてくれたように思います。

一番楽しかったのは、障害児のクラスを担当することでした。

皆思い思いに動いたりしますが、一応、練習内容が決まっていたので、ヘルパーさんと楽しく動いていました。アスペ子は一緒になって楽しみました。

あぁなんて心地いいんだ、なんて楽しいいんだろうと思いました。このクラスを担当したことは、これ以降のアスペ子にとって、とても大きな宝物になりました。

 

良いことばかりがあるわけではないことを知る

でも、やっぱり良いことばかりが続くとは限りませんでした。まずアスペ子が一番気にしたのは時間でした。

電車1本ならなんとかなったのでしょうが乗り継いでの通勤だったので、人身事故や車両故障で電車が遅延することが多く、遅刻したらいけない、絶対に遅れたらいけないという気持ちが迫り、パソコンで毎日分刻みで電車情報をチェックしていました。

最初は10分前に到着していたのが、だんだんと15分前、20分前、30分前と早く着くように家を出ていました。時間に縛られていたのです。

次に問題になったのは、子供たちの名前を覚えられなかったことです。

一日3クラス見ると約30〜40人前後の子供の名前を覚えなければいけません。自分の担当でなくても覚えるようにしないといけないこともあります。アスペ子にとってこれもとても苦痛でした。

一番恐怖だったのは、子供の事故です。

ある程度出来る子でも事故や怪我をすることがあります。ましてや初心者(幼児など)は目を離せません。アスペ子は何かあってはいけない、何かあってはいけないと、指導よりもそのことばかり考えていました。

これが初めて指導した時からのストレスとなって、だんだんとパニック状態やうつ状態になっていきました。

そうなると結果は見えています。家で主人に当り散らします。こんな楽しいことがあったよなんて一言も言わず、愚痴やイライラをストレートに主人にぶつけていました。

主人もライター業で疲れているところにアスペ子のギャーギャー言う声が輪をかけるのですから、相当な苦痛だったのでしょう。「前の新居もダメ、ここの生活もダメ、じゃあどうしようというんだ」そう思っていたそうです。

 

挫折の繰り返し・・・

そして約1年勤めた時、わずかな貯蓄で引越しを決めました。

もっと田舎で静かな場所で、心機一転頑張ろう。疲れ果てた主人がそう提案してきました。

アスペ子も職場でのコミュケーションが取れなくなってきた時だったり、通勤に大きなストレスを感じていた時だったので同意しました。

2回目の引越しが決まった瞬間でした。

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発達障害と結婚

Posted by アスペ子