新居時代〜その2〜

思い切って心療内科に行ったアスペ子ですが、思わぬ出来事が待っていました。

それは「妊娠」でした。主人の子供を身ごもったのです。

 

妊娠と中絶と

心療内科に通院していた時のことを覚えていないのは、この妊娠があったからだと思います。アスペ子にとって妊娠は苦痛でしかありませんでした。だからこの時の記憶が曖昧になっているのでしょう。

妊娠がわかった時、アスペ子はすぐに「中絶」の文字が浮かびました。今は産めない、薬も飲んでいるし、お金もないし、借金もあるし、こんな状態でなんか産めない!アスペ子はもうその一点張りでした。

そして主人に相談することもなく、中絶すると伝えました。

主人はとても子供好きだから産んで欲しかったと思います。この頃の主人はとても疲れていたので、アスペ子の尋常でない形相と言い方に押されてしまったのか、中絶に同意してくれました。

中絶はこれで計4回目(主人の子供は初めて)だったので、なんてことはないとタカをくくっていました。これもアスペ子の障害からくる責任感の無さとでも言うのでしょうか、あっけらかんとしていました。

が、年齢も30歳を超えていたので体にとても負担がかかってしまい、もう二度と中絶はしないと思うほど苦痛でした。と同時に、子供は作らないとも思いました。(元々子供が苦手なアスペ子でした。アスペ子は、子供の大きな声や泣き声、ストレートな物言いなどに、どう対処して良いのかわからないのです)

その後も心療内科への通院は続きましたが、ある日突然、担当の先生が辞めてしまいました。他にも先生はいますからと病院側は言いましたが、担当の先生に固執していたアスペ子は、もう通院することをやめました。

今思うと、飲んでいた処方された薬を減薬せずに突然飲まなくなったというのは恐ろしいことです。

案の定、アスペ子のうつ状態らしいものはひどくなり、主人も怒鳴る日が多くなり、仕事もままならなくなって、支払いのお金が足りなくなって親に借りたり、カードを使ったりして、なんとかやりくりをしなければならない状態に落ちていきました。

 

何もできないアスペ子・・・

それでもアスペ子は社会に出ることが怖くて働くことができませんでした。求人雑誌を見たり、ハローワークで検索したりしていたのですが、アスペ子に合うような仕事は一つもありませんでした。

それはそうです。働くということは生きていくということ。

それがわからないアスペ子にとって、求人雑誌の文字は恐怖のほか何者でもなかったからです。

当時は発達障害やアスペルガー症候群などあること自体知らなかったし、自分自身が障害者だなんて思ってもみなかったので、働けないことを性格のせいにしたり、親のせいにしたりしてイライラし、そのイライラの矛先を全部、主人に向けていました。

主人の方がいつも正当なのですが、それがまたアスペ子にとってストレスになり、もう毎日が悪循環でグルグルしていました。

離婚しようかという話もしましたが、お互いに好きで結婚したんだからと離婚に至らなかったのは、やはり主人の人柄、気持ちの大きさ、見捨てられない気持ち、思いやりの気持ちがあったからこそだと思っています。(アスペ子は主人の表面しか見られないので、この時の主人の真意には全く気がついていませんでした)

そんな時にアパートの更新月がやってきました。もちろん更新料なんて払うお金がありません。どうしようかと頭を悩ませていたところ、主人の母親が事業を手伝ってくれと話を持ってきたので、近い方が良いからと引越しをすることにしました。

これが1回目の引越しです。

(引越し〜その1〜に続く)

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発達障害と結婚

Posted by アスペ子