育った環境も影響する二次障害

この「育った環境も影響する二次障害」は、カテゴリー的には「アスペ子の生い立ち」にも属すると思いますが、アスペ子の場合は二次障害に育った環境が大きく、そして強く出ているようなのでカテゴリーを「アスペ子の二次障害」にしました。

以前にも書きましたが、アスペ子にとっての両親、特に父親は恐怖そのものでした。反抗したら何を言われるか、何が飛んでくるかわからない恐怖です。

それはアスペ子に限らず、子供だったら誰しも感じる怖さだと思いますが、アスペ子の父親は異常なくらい厳格でした。

 

子供は親の道具ではないんだよな・・・

アスペ子はアスペルガー症候群で、考え方がひねくれたところがありますが、これから書く父親については至って冷静で、まるで健常者になったように考えて書いていけます。今はそれだけアスペ子が父親に対して客観的に見ている、感じているからだと思います。

アスペ子の父親は、アスペ子を自分の子供として育てたのではなく、アスペ子を使って親戚や世間に「自分の子供はすごいんだぞ」と言いたくて育てていた感があります。

特に父親方の親戚に対してはその傾向が強く、父親方の親戚に用事があって行く時には必ずアスペ子を連れて行きました。

アスペ子は最初のうちは「お菓子が食べられる、お小遣いがもらえる」と嬉しくて父親について行っていましたが、何度も親戚の家に行く中で、アスペ子が父親の様子を伺うようになってから、だんだんとついていくのが嫌になっていきました。

なぜかというと、父親が親戚の家を周る時は必ずアスペ子の運動クラブでの成績をそれとなく自慢していたからです。

アスペ子にとって運動クラブでの成績は後からついてきたものであって、決して努力して勝ち取ったものではありませんでした。はっきり言って、運動クラブでの練習は大嫌いでした。なのにもかかわらず、アスペ子の気持ちを知ろうともしない父親は、アスペ子の自慢を親戚中に言ってまわっていたのでした。

それを知ってからのアスペ子は、父親を見る目が変わりました。恐怖だったのは変わりませんが、哀れというか、なんて小さいんだろうと冷めた目で見るようになってしまいました。

 

親の道程にハマったアスペ子・・・

アスペ子が運動クラブを辞めた後、次に父親がアスペ子に求めたのは大学の学歴と就職先でした。以前にも書きましたが、大学に行って公務員になるという設計図が父親の頭にはありました。

アスペ子は大学は現実的に受け止めていたので、地元の国立大学はひっくり返っても入れないと思っていましたし、公務員は大学1年生から公務員試験の勉強をする人がいるくらいの難関だと知っていましたので、アスペ子には無理と諦めていました。

案の定、共通一次も底辺でした。

焦った父親はアスペ子の意見も聞かず、(多分)高校に相談し、推薦試験を行う学校2つを受けるよう言ってきました。一つは関西の某有名私立大学、もう一つは辺鄙な場所にある新設間もない国立大学でした。結果、関西は不合格、辺鄙な場所は合格でした。

 

この頃やっとアスペ子は反抗期になれたのかな?

月日が経ち、アスペ子が社会人になって間もない頃に、父親はパートで公共施設の警備員を始めることになりました。父親は元来の生真面目さが性にあってか真面目に働いていたようです。

しかしある時、グループの誰かに父親が何かを言われたそうです。何を言われたのか母親にも話さなかったそうなので、真相はわかりませんが、きっと相手は冗談で何かを言っただけだと思います。

その言葉は父親の逆燐に触れ、それ以降、父親は挨拶もなしに働きに行くことをやめました。

そしてここから父親の転落が始まります。

お酒を朝から飲み始めるようになりました。飲んでは寝て、飲んでは寝ての繰り返し。今ではコンビニでもお酒が買える時代ですから、24時間、飲み放題です。

アスペ子が結婚したい人がいると言った時も酔っていて、相手の素性を調べるからと親戚中に聞いていました。アスペ子はそんな父親の姿を見て「父親に反対されても結婚はする」と強く思いました。

めでたく今の主人と結婚したアスペ子は、新婚旅行で両親に腕時計を買いました。

早速実家に行き、渡したところ、母親は喜んでくれたのですが、父親は主人とアスペ子が帰るまで一度も時計に触れることはありませんでした。

酔っている父親はまるで「お前たちのせいで自分の道が狂ってしまったんだ」と言わんばかりの目をしていました。

その後、父親はアルコール依存症の治療やうつ病の治療のために入院しました。

そして精密検査のために大きな病院に転院したのですが、医師もなかなか確認できない場所、気管支の分かれ目の奥の方に腫瘍が見つかり、即入院となりました。

アスペ子は絶対に病院には行かないと決めていましたが、それでも一度だけは行こうと主人が言ってくれたので日帰りで主人と行きましたが、病室に入ってもアスペ子は父親の顔を見ませんでした。そして10分にも満たない時間で家に帰りました。

それから約2ヶ月後くらいに父親は他界しました。火葬場で父親の骨を見たアスペ子は涙の一滴も出ませんでした。

「あぁ人間はこうなるのか」と知っただけでした。

それと共に「父親の呪縛から解放された」という気持ちでいっぱいでした。そのくらい父親に縛られて生きてきたアスペ子だったのです。

 

育った家庭環境はとてもとても大切だ

育った環境は=育てられた環境です。

アスペ子の場合はアスペルガー症候群の二次障害をさらに悪くしていたのが父親に育てられた環境でした。

だから、アスペ子が精神科ではなく心療内科に行くのが遅くなったのだと思います。

でも子供には育てられる親も環境は選べません。

願わくば、家庭円満な人々が増え、涙する子供や大人が減って欲しいと思うアスペ子です。

スポンサーリンク

その他の障害と悩み

Posted by アスペ子