何かが少しずつ見えてきた

3月に入り、やっと暖かくなるのかなと思ったら、天候不順。

これも仕方のないことです。

でも着実に一歩一歩、春に近づいているのを感じている今日この頃の私です。

今までの私

今までの私は本当にネガティブでした。

何事に対しても、まずは悪いことを考えてしまう性格です。

これはアスペルガー症候群の二次障害よりもアダルトチルドレンがとても強く関係していると思っています。

幼少期の劣悪な家庭環境が、半世紀もの間、ずっと出続けていたのです。

そんな私を救ってくれたのは心療内科の先生や処方薬のおかげもありますが、一番はやはり主人の存在です。

結婚以来、四六時中、自分の身を削ってまで私の介護にあたり、なんとか平穏な生活を送れるようにと支えてくれました。

しかし、今までの私はそんな主人の苦労もわからず、わがままで、ネガティブで、自己愛に浸っていました。

良い例が、自分のうつ状態が良くなりつつあるとわかっているのにも関わらず「うつ状態なんだ、気力がわかないんだ」と、グジグジと自分に甘えていたことです。

 

「生きる」ということ

2月の通院の時に心療内科の先生が「うつ状態の人は、アスペ子さんのような状態ではない」とおっしゃっり、また主人が「食欲旺盛だね」と言ったことで、なんとなく自分の性格に嫌気がさしてきていました。

しかし、性格というのはそう簡単になくなってくれません。「こんな私でいてはいけない」「悪い性格を出してしまってはいけない」と思いつつ、もがいている日々が続きました。

 

そんな時に、主人が「生き急がなくていいんだよ」と一言私に言ってくれました。

 

私は大げさかもしれませんが「神の言葉」だと「救われた」と「生きるきっかけを与えてもらえた」と、主人の言葉が胸に突き刺さりました。

結婚以来主人はずっとこの言葉を私に言い続けてきてくれていたのですが、私には全く届いていませんでした。受け入れることができませんでした。

それが、今の私には「きちんと」届いたのです。

 

今までもがいていた私はなんだったんだろう?自分の周りを見渡すと何もないじゃないか。追うものも、追われるものも何もないじゃないかと思いました。

今までの私は、自分で自分の首を絞めて生きてきたようです。何も急いで生きる必要はなかったのです。

自己肯定のためにアダルトチルドレンだからだとか、アスペルガー症候群の二次障害だからだとか、何かしら理由をつけて生きてきました。猛省することです。

天候が日々変わるように「自然の摂理」に従って、柔軟な気持ち(心)を持って生きて行くことこそ、「生きる」ということなのではないかと思いました。

 

これからの行き方

人間が自然の摂理に抗うことはできません。その日その日を柔軟な気持ちを持って過ごすことこそが、本来の人間・・・私にはとても必要なことだと痛感しました。

安らぎのある生活。平穏な生活。笑顔のたえない生活。

これ以上の幸せはないと思いました。

今日できることを今日して、明日できることは明日して、何かにとらわれることなく柔軟な心を持つこと。

そして「生き急がない」こと。

人にはそれぞれの生き方があります。私にはこの生き方がとても大切だと実感しました。

主人には本当に感謝しています。ありがとう。

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Posted by アスペ子