アスペ子の生い立ち〜高等学校〜

アスペ子は第二志望の新設高校に入学しました。

高校の授業は受けていればできるというものではなく、だんだんと成績が落ちていきました。

クラス編成もいろいろな中学校からの人達だったので、特にベッタリということもなく、でもやっぱりアスペ子は自ら友達の輪に入ることもせず、淡々と学校生活を送っていました。

 

ある意味転換期だったのかな?

運動クラブはアスペ子の中では高校2年になったらやめようと決めていました。伸び悩みではなく、仲の良かった人の年齢が一つ上で先に辞めていってしまったからです。

そうなると一番の年長はアスペ子くらいだったので、厳しいコーチと顔を合わせたり、練習を続けていくことができないと思いました。多分、仲の良かった一つ上の人達に依存していたのでしょう。

コーチは辞めるなとは言っていましたが、アスペ子は内心「嫌だ嫌だ嫌だ、辞めるんだ」とつぶやき続けていました。

最終的にコーチがアスペ子が辞めることを受け入れたのか受け入れなかったのか、アスペ子は知りません。知っているのは同席した父親が、円満に辞める雰囲気を作ることをしなかったということだけです。

それでも無事に運動クラブを辞めることができました。

小学校1年生から高校2年生まで、よくやったなぁとアスペ子自身も感心してしまいますが、それはアスペ子を縛る何かがたくさんあって、続けさせられてきたのだと思っています。

あと考えられることはやはりパターンを崩せないという障害の影響もあったのでしょう。

 

運動クラブを辞めたがいいは・・・

運動クラブは辞められたけど、高校の成績は下がる一方。

食事制限が解除されたのはいいけど、太る一方。

この高校2年生の頃がアスペ子の一つの区切り、分岐点だったのかなと、今になってみるとそう感じます。

高校2年の春先の時期には、そろそろ大学進学や就職などの進路を気にする人が増え始める頃で、アスペ子の両親、特に父親はアスペ子が国公立大学に入って公務員になるという道が出来上がっていたので、そのことで頭が一杯になっていたようです。

アスペ子は正直、高校の授業にはついていけませんでした。

授業もただ聞いているだけで「運動クラブで痛めた腰の治療に行くので早退します」と嘘をついては、映画を観に行ったりしていました。反抗期らしい反抗期がなかったアスペ子ですが、これが唯一の反抗期だったのかもしれません。

高校3年生になり大学受験では当時は共通一次があったのですが、もちろん結果はダメダメのダメ。

さてどうしようかなと、アスペ子自身は浪人して私立大学に行こうかなと思っていたら、両親がどんな手を使ったのか知りませんが、通っていた高校から国立大学の推薦試験をもらってきて、それを受けることになりました。

アスペ子は「はいはい、どうぞどうぞ」と喜怒哀楽なく試験を受けに行き、そして合格しました。

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Posted by アスペ子