アスペ子の生い立ち〜中学校〜

アスペ子の中学校時代は運動クラブが忙しくなったため、運動クラブが一番、二番目に学校という感じでした。だから小学校の時と同じように中学1〜2年生の時のことはほとんど覚えていません。

学校の授業を受けて成績を維持し、特に友人もいなく、やはり覚えているのは給食が美味しかったことだけです。

 

中学校のクラス分けのはてな?

中学校は2つの小学校が1つの中学校に集まりました。1学年45名前後で6クラス。今でも不思議で仕方がないのが、当分に分けるであろうクラス編成が変だったこと。

仮にA小学校とB小学校が1つの中学校になるならば、きっちりとは言わないまでも1クラスにAとBは半々。なのに、アスペ子のクラスだけ、Aからアスペ子だけ一人、あとは全員B小学校だったってこと。

こんなことってあるのかな?他のクラスはほぼ当分だったのに・・・正直、アスペ子はフリーズしてました。

そして思わず、真後ろの席にいた他小学校からの入学だった女の子に「友達になってくれる?」と言ってしまいました。

その女の子は「いいよ」と言ってくれたけど、アスペ子は自分が安心したいがために言った言葉でした。

今となってはアスペ子だけ一人だったクラス編成の真相はわかりません。内申みたいなものに「アスペ子には要注意」なんて書かれていたのかな(笑)

そんな中学1年生だったので、同級生のことなどなに一つ覚えていません。

 

一番楽しかったのはこの頃かも

中学2年生の時にクラス替えがあり、2〜3年生は持ち上がりでした。中学2年生のことは覚えていません。空白です。

中学2年生の1年間でやっと馴染んだのか、中学3年生のことは楽しいことは多少覚えています。担任の先生がとても気さくだったので、その影響かもしれません。

ただ、やはりクラスメートで覚えているのは5人いるかいないかくらいです。授業も受けていればそこそこできたし、話ができる同級生も何人かできました。

いつの頃が良かったかと問われれば、中学校3年生かなと答えると思うので、アスペ子の中では中学校3年生が一番楽しかったのかもしれません。

ただし、中学校時代の運動クラブはとてもキツかったです。

夕練週6日、朝練週2日、もちろん土日は休みではありませんでした。毎日練習に行くことが嫌で嫌で仕方がなく、それは多分、小学校時代からの父親の変わらぬ存在と、クラブのコーチの厳しさにあったように思います。

だから、クラブでどんな内容の練習をしたかとか、学校で何をしたかということをほとんど覚えていないのでしょう。

唯一の楽しみは、日曜は午前と午後に練習があったので、その時の昼食を近くのスーパーで買うことでした。確か母親がくれた予算は1000円くらい。いつもアスペ子は、スーパーの中にあるパン屋さんでチーズフランス(大きな卵型のフランスパンの中に角切りチーズが入っている)と甘いパンを数種類購入していました。

同僚に「アスペ子っておやつみたいな昼食だね」と言われたことがあります。確かにチーズフランス以外は全て甘いパン。なぜならば、日曜の昼食しか自分の食べたいものが食べられなかったからです。

それは・・・小学校1年生の時に肥満児と言われた時からアスペ子について回っている「太るようなものを口にするな」と言う両親の厳しい言葉があったからです。

普段の食事は高タンパク、低脂肪食でした。もちろんお菓子やジュースはダメ。ケーキは誕生日とクリスマスだけ。大会や合宿に行く時、栄養分として両親から与えられたのは氷砂糖の小袋。それはクラブを辞める時まで続きました。

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Posted by アスペ子