アスペ子の生い立ち〜小学校〜

アスペ子は幼稚園から小学校3年生くらいまでの記憶が全くありません。

専門医の先生曰く「家庭環境などの嫌な部分からの逃避でその時の記憶がなくなることがある」と言われました。多分、父親が気が短く、すぐに物を投げたり、怒鳴ったり、ちゃぶ台をひっくり返したりと、まんま昭和の時代を過ごしたからでしょう。だから自分の幼稚園の時が思い出せないのは悲しいです。どんな子だったのかな。

ただ一つ、卒園式の時に担当の先生からの一言書きで、「言葉をもっと丸くしましょう」と書かれたのは覚えています。きっとつっけんどんというか、単発な物言いしかしていなかったのでしょう。

 

アスペ子の小学生時代

アスペ子は小学校の3年生までのことも覚えていません。

小学校1年生の身体検査で肥満と判断され、保健の先生から全身運動をした方が良いとアドバイスを受け、アスペ子の意見なんて全く聞かずに両親が運動クラブを探してきて、強制的に入会しました。多分、小学校3年生まではそれが嫌で記憶がなかったのかもしれません。もちろん、学校では友人と呼ぶような友達は一人もいませんでした。

小学校時代は今と違って皆が和気藹々、いじめなんて皆無、多少の障害者も同じクラスで勉強していました。今思うと良い時代だったなと思います。小学校3年生くらいから運動クラブでも良い成績が出せるようになったり、学校でも話をすることができるようになったり、少しずつ普通になっていった気がします。


運動の成績が良くなると周りの大人たちの目が変わります。

両親も先生も親戚も、皆、アスペ子のことを何でもできる良い子と見ていました。アスペ子自身は内心、全くそんなことないと思っていました。

勉強は先生の授業を聞いていればできたし、運動も頑張らなくてもそこそこできたし、ただ上手くいかなかったのは図工と体育と音楽と休み時間でした。

想像して物を作る、早く走る、楽器を演奏する、休み時間に友達と遊ぶということがとても苦手でした。特に決まった友達がいなかったので、教室で本を読んでいたりすることが多かったように思います。

逆に好きだったことは給食。アスペ子の住んでいた地域の給食はとても美味しくて、毎回一番にお代わりしていました。

あとは学校での生活はただ坦々と流れて行くだけのものだったように記憶しています。

上記に書いたように周りの大人がアスペ子の表面を良いように見ていたので、小学校の成績はまずまず、楽しかったかといえば楽しかったような気もするし、楽しくなかったと言えば楽しくなかったような気もする、そんな小学校生活でした。

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Posted by アスペ子