アスペルガーの母の日の思い出

今日は母の日。アスペ子はてっきり5月15日かと思ってました。

アスペ子は、以前は母の日には必ず何かしらのものを母親に送っていましたが、いつの間にか何も送らなくなってしまいました。

なぜかというと、多分、母親がくも膜下で倒れた後からくらいだと思います。アスペ子の中で「本当の母親」が死に、目の前にいる母親は「母親の姿形をしている何か」に感じてきたからです。

この時期になると、インターネットには「母の日企画」がたくさん出てきます。アスペ子は「あぁもう5月なのか」くらいにしか感じていません。

なぜかというと、上記にも書きましたが、母親がくも膜下で倒れた約20年前、アスペ子の中では本当の(実の)母親はなくなったと感じているからです。

理由はいろいろとありますが、一番に言えることは、母親がガラリと変わってしまったということです。

人によっては「それは仕方ないよ、脳の病気なのだから」とか「冷血だね」とか言いますが、血の繋がった肉親にしかわからない、なんともいえない「違和感」を母親に感じました。

オカルトかもしれませんが、くも膜下から生還した「今の母親」は、何かに取り憑かれたような、父親にそっくりになってしまったような感覚を、アスペ子の中の本能が感じ取っていました。

「今の母親」は手術後、順調に回復し、多少片足に軽い麻痺が出ただけで、普段の生活は自分でこなしています。

アスペ子は「今の母親」のリハビリには一切関わっていません。当時は社会人として、家を離れて自活していましたし、不倫もしていましたし、実家を取るか、不倫を取るかで選択し、不倫を取りました。

会社も1ヶ月間だけの休職でした。父親はてっきりアスペ子が会社を辞めて、実家に戻ってくるものだと思っていたようでした。

アスペ子は父親に言いました。「夫婦なんだからお互いに支え合うものなのではないか。子供に頼るのはおかしい。アスペ子は予定通りに会社に戻るから」と。その時の父親の形相は鬼のようでした。

しかしアスペ子は、それまで父親に反抗できなかった思いも含め、また、持論として、夫婦はお互いに支え合うものだということを、アスペ子の心の内を父親にぶつけました。

父親は少し間をおいて「わかった」と言いました。父親が、具の根も出ないといった言い方だったのは、今でも鮮明に覚えています。

それからは、連休などの時は実家に帰省したりしていましたが、「本当の母親」ではないのに帰省するのもおかしいと思うようになり、アスペ子は自分の生活を優先させるようになりました。

もちろん、母の日に何かを送るようなことも無くなりました。

母の日に物を送らなくなった理由の二番目は、「今の母親」がアスペコの送ったものに対して愚痴らしきことを言うようになったからです。

ある年の母の日に、高級なイチゴを送りました。カタログで選んだのですが、「今の母親」曰く「う〜ん、あんまり美味しくなかったね〜」と直球で言い放ちました。

アスペ子はとても傷つきました。嘘でも「まぁまぁ美味しかったよ」とか「形のきれいなイチゴだったよ」とか、送った側に思いやりをもって欲しかったです。(しかし、今はアスペ子はアスペルガー症候群だとわかっているので、病気で脳を傷つけた人が思いやりの言葉が出ないということはわかります。「本当の母親」ではないのですから仕方がないです)

「本当の母親」がいた時の母の日は、本当に良い思い出ばかりです。

本来、面倒臭がりのアスペ子ですので、折り紙で作ったカーネーションを毎年「はい、プレゼント!」といって渡したりしていましたが、だんだんお小遣いの金額が増えるに従ったり、社会人になって給料が入るようになってからは、「本当の母親」の好きな鉢植えの花を毎年、送るようになりました。

ミニカーネーション、テッセン、サイネリアなど、本当に色々送りました。「本当の母親」もとても喜んでくれて、大事に大事に育ててくれました。その姿を見るだけで、アスペ子はホワホワした気持ちの良い、「本当の母親」に抱かれているような気持ちになりました。

電話で「本当の母親」と話をするときも、送った花の話になり「まだ綺麗に咲いているよ」と言ってくれ、アスペ子も「良かった〜」と言って嬉しい気持ちになり、来年は何にしようかな?と思ったほどでした。

今も母の日になると、花屋さんや近隣の家、インターネットなどでカーネーションやテッセン、サイネリアなどを見ると、あの時の、「本当の母親」のことを思い出します。

「本当の母親」はとても明るくて、優しくて、思いやりがあり、決して人を傷つけず、いつも笑顔を絶やさない人でした。アスペ子から見て「本当の母親」が嫌だなと感じた時には、必ず背後に父親がいたので、アスペ子も「仕方ないな。本当の母親の言葉じゃないんだから」と思っていました。

アスペ子は「本当の母親」が本当に好きだったのだと思います。だから「今の母親」は赤の他人に思っているのでしょう。

「本当の母親」「今の母親」とアスペ子が区別していることに対して、アスペ子が気が狂ったようにも思えると思います。またはアスペルガー症候群だから区別しないといられないのでは?と思われるかもしれません。

確かに、結婚当初は区別した言い方などしていませんでした。ただ心の中では「アスペ子に構わないで!アスペ子はもう主人との生活をして、籍も抜けているのだから!」と常に思っていました。

それがだんだん区別するようになったのは、父親が亡くなり、兄が糖尿病になり引きこもりになって、アスペ子の肉親ではない親戚が介入するようになってからです。「今の母親」は自分でどうにかしようという「本当の母親」がやってきたことを全くしません。誰かがどうにかしてくれるだろうと、亡くなった父親の座っていたコタツの場所から座ったまま動く気配すらありません。

アスペ子の実家には、もうアスペ子は行きたくないですし、関わりも持ちたくないですし、仮に「今の母親」か兄が亡くなったとしても、行きたくないのが本音です。もし行かざるをえないのであれば、主人とアスペ子だけで火葬のみの葬儀で終わらせたいくらいです。

まだいつになるかわからない話を書くなんて、今日のアスペ子は母の日なので、ちょっとナーバスなのかもしれません。

本題のアスペルガー症候群のアスペ子の母の日の思い出は、「本当の母親」と過ごした母の日が一番最高でした。母と子の絆のようなものを感じる瞬間でもありました。

5月は陽気もそこそこ良く、南に面した窓際に花の鉢を置き、花談義をする幸せな時間は本当に幸せでした。

アスペルガー症候群のアスペ子ですので、毎年毎年、花の鉢を送っていたのも今では納得がいきますし、「本当の母親」も「いつも花の鉢植えでおかしな子ねぇ」なんて思っていたかもしれません。

でもそれが親子のクスッと笑うような「気持ちの繋がり」でもあったのでしょう。今はもう「本当の母親」はいませんが、いた頃の母の日は、本当に本当に幸せな時でした。

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Posted by アスペ子