雪が降ると思い出す

先日は、関東でも雪が積もりました。

我が家には車がないので、除雪する心配がなくて助かりました。雪は夕方には雨に変わりました。

都心では怪我をした人などがいたようですが、画像で見た「ハイヒールを履いた女性」には驚きを通り越して、口があんぐりと空いてしまいました。

夕方過ぎ、夕食の食材を買いに主人とスーパーに出かけたのですが、さすがに日陰(北面)は雪が残っていましたが、車の通る道は、雪はすでに残っていませんでした。主人と「雪道はよくスノトレを履いたよね〜」と大昔の話で盛り上がりながら買い物に行きました。

 

雪にまつわるいろいろなこと・・・

アスペ子の実家は、雪とは無縁に近いところでしたので、今住んでいるところと似たような場所です。

家族でスキーに出かけたり、スケートに出かけたりしたことは全くありませんでした。母親の実家は山の方で、近くにスキー場があったのですが、それでも行ったことはありませんでした。

アスペ子が運動クラブで忙しいのと、父親がアスペ子がスキーをして捻挫など怪我をしては大変と思ったのか、ただ単に父親がスキーに慣れ親しんでいなかっただけなのか・・理由はわかりませんが、本当にウィンタースポーツということを経験したことはありませんでした。

でもアスペ子のことですから、仮に家族でスキーに行ったとしても、きっとソリで遊ぶくらいで、滑ることなどできなかったと思います。

というのも、大学時代に「不器用」さが前面に出てしまい、学部のスキー合宿ではアスペ子一人、滑ることができなくて泣いていました。さらに、合宿の最終日にリフトで一番高い場所に行き、そこから滑って下に降りるという試験のようなことをしました。

リフトはどんどん上へ上へと登っていき、ようやく到着したと思ったら、着いた場所から下が見えません。角度もそれまで見たこともないくらいの急角度でした。よく見るとコブ(凹凸)が深く急な斜面(モーグル?)になっています。

アスペ子は「一度も滑ったことがないのにここから降りるの!?」と半泣き状態です。担当教官は「滑る自信のない人は横を歩いて滑ることができるところから滑ってください」と言っています。

こういう時、アスペ子はいつもそうなのですが、変なプライドというか、こだわりというか、頭と心にカーッと血が熱くなるような感覚になり「転んで死んでもいいや、滑ってやる!できないことなんてない!」と思ってしまいます。

案の定、アスペ子は急斜面のコブを滑り、斜滑降もどきをしたりして、やや平坦なコースに入りました。

心の中では「滑ることができた」と「意外とスキー板というのは折れないもんなんだな」と思っていました。変ですね。思いっきりコブに乗り上げたり、窪みに全体重(圧力?)をかけたりして、スキー板がUの字になったような気がしていたからです。

この滑りをきっかけに、スキーって面白いなぁと思ったアスペ子ですが、時既に遅しで、これにて合宿は終了となりました。なんてついてない、出足の遅いアスペ子です。

この合宿をきっかけに、大学時代にスキーに行けばよかったのですが、誘う相手も誘ってくれる相手もいなかったので、結局、この合宿以降はスキーに行くことはありませんでした。つまり、もうかれこれ20数年以上もスキーはしていません。

その代わりと言っては変ですが、社会人になってからは自宅のアパート(賃料3万5千円)の狭い駐車スペースの「除雪作業」は毎日帰宅後にやっていました。

雪国なので、きれいに除雪をしてもまた降り積もるので、大方の人はアイスバーンのようにしていたり、タイヤが入るだけの部分の除雪をしたりでしたが、アスペ子は「きれいに隅から隅まで除雪」という「こだわり」を持ってしまっていたので、前住人の人が置いていった重い鉄のシャベルで除雪をしていました。

なぜ徒歩通勤なのに除雪かというと、当時付き合っていた不倫相手の車が入れるようにと、せっせと汗を流していたのです。

今思うとバカバカしいですが、ただ一つ良かったことは、除雪の時に少しだけ厚着をして汗をかき、除雪と同時にお風呂を沸かし始め、除雪が終わったらお風呂にゆっくり浸かることがとても最高でした。なんとも言えない爽快感でした。

そのような冬のシーズンを約8〜9年間続けてきたアスペ子は、アスペルガー症候群でなければできない、説明のつかない生活をしていたように思います。

冬はオンボロアパートの窓が凍り付いて開かず、暖房はファンヒーターとこたつのみ。雨戸もなく、寝る時は朝が暖かいようにファンヒーターをタイマーにして寝て朝の冷え込みを防ぎ、長靴を履いて、スタジアムジャンパーを着て徒歩で通勤。(ちなみに夏はエアコンなしのアパートだったので、扇風機を掛け、窓を全開にして寝ていました。

2階に住んでいたのですが、物騒だとは全く思っていませんでした)それが当たり前だとアスペ子は思っていたので、引っ越しをしようという考えは皆無でした。

今思うと、なんであのアパートに固執していたのか、不倫相手がいたから?会社があてがった物件だから?アスペ子が思うに、きっと「こういうもの」としてアスペルガー症候群のアスペ子の脳みそに、最初にインプットされたのだと思います。

だから同時に複数のことができない、住んでいるのだから引っ越しを考えることができない、という単純なこだわりのようになってしまったのでしょう。

当時は今のように賃貸物件も多くなく、大手の不動産屋もなく、動けなかったとか、広告が目に入らなかったとかあったとは思いますが「今、あのアパートに住めるか?」と問われれば、答えは速攻で「NO!!」いくらアスペルガー症候群のアスペ子でも、ダニとムカデとカメムシと名も知らぬ虫との共存はもう出来ません。

あの頃はよくやってたなぁと喜怒哀楽のなかった当時のアスペ子に感嘆します。そう考えると、アスペルガー症候群というものは環境次第で良い方にも悪い方にもどっちにも転ぶということなのかなと思いました。

アスペ子の最悪の人生の期間は社会人時代だと感じ始めています。

確かに、運動クラブも辛かったし、嫌いでしたが、パートで働くことができるようになれました。
学校も話の中に入ることはできませんでしたが、親友ができたりしました。結婚も途中までは山あり谷あり、谷ばかりの日々でしたが、今は落ち着いて主人のことを信頼して生きていられます。

ただ唯一、泥沼の底でもがいていたのは社会人時代だけです。今ではあまり思い出すことはありませんが、当時のことを考えると吐きそうになります。でも、もう過ぎ去ってしまった時間なのでどうすることもできません。

「忘れる」「今の楽しいことに集中する」「二次障害を治す」など、前向きなことを考えて、それに進むアスペ子をアスペ子が「客観的に見ること」で乗り越えていくことができれば一番良いなと思っています。

私の過去

Posted by アスペ子