大学時代の恩師からのハガキ

ちょうど昨年の夏の盛りに、大学時代の恩師から一通のハガキが届きました。

年賀状だけは毎年出していたのですが、今頃、ハガキが来るなんてどうしたのかなと思ったら、昨年まで勤めていた教育関係の仕事を退任されるとの連絡のハガキでした。

アスペ子は、恩師に何かあったのかな?と驚きましたが、ハガキに「元気です」と手書きで書いてあったので、何か他の理由で辞めることにしたのだろうと、ホッとしました。

大学時代の恩師は、専門課程に入ってからのゼミの担当の先生でした。当時のアスペ子が20歳とすると、恩師は42歳で、助教授でした。

まだ新しい部類に入る大学でしたので、各先生方も若い先生が多く、教授と言われる人は本当に少なかったと記憶しています。ですので、アスペ子のゼミの担当だった恩師も、助教授と言うのも頷けました。

アスペ子は恩師から、約2年間の指導を受けていたわけですが、受けた指導のほとんどを、今のアスペ子は忘れています。唯一、覚えているのは、初めて恩師の部屋に行った時に「コーヒーを淹れてくれるかな?」と言われ、アスペ子の頭が固まったことです。

それまでミル付きもミル無しも、コーヒーメーカーというものでコーヒーを淹れたことがなかったからです。

健常者でしたら、わからないことがあれば素直に「先生、淹れ方がわかりません」というのでしょうが、アスペ子はそれすら言えなくて、頭の中では「どうしよう、どうしよう・・ハイと返事なんかしなければよかった・・淹れたことがないからわからないとなんで言えなかったんだろう・・」と、多少のパニックを起こしながらも、なんとか試行錯誤をしてコーヒーを「淹れたと」思います。(この時のことはこれしか記憶がなく、本当にコーヒーを淹れることができたのか、記憶にありません)

大学3年生の時は、皆、暇があれば研究室に顔を出す程度でしたが、アスペ子は狭い空間、他に学生がいた時などの緊張感などで、恩師の部屋を訪ねることは、ほとんどありませんでした。

しかし、恩師がたまたまアスペ子が所属していた運動クラブ(人数は4〜5人で細々やっていました)の顧問をやってくれていたおかげで、運動クラブなどの学部生や恩師が担当していた大学院生に声をかけて、恩師の家で酒盛りをよくやりました。

それはそれは、本当に気楽で、実家にいるよりも緊張感がなく、酔った恩師の口調や物腰が、アスペ子の固く閉ざした頭と心をほぐしてくれていました。

また、恩師の奥様の手料理もとても美味しくて、食べることの大好きなアスペコは、いつも楽しいにして恩師の家に伺っていました。

ゼミの部屋はダメなのに、恩師の家は大丈夫というのはどうしてなのか、今まで考えたことがありませんでしたが、多分、恩師の家族の人たちが「誰でもウェルカム!」という雰囲気を持っていたのではないかと思います。きっと、恩師の人柄がそうさせていたのだとアスペ子は思いました。

一通目のハガキは退職するという趣旨、二通目は今後やりたいことがあるからという趣旨、そしてつい最近、来た三通目のハガキには「8月初旬の土・日・月曜の3日間、〇〇に行きます」と手書きで書いてありました。

アスペ子は、二通目のハガキの返事に、アスペ子は「アスペ子は、大人の発達障害専門病院で診てもらった結果、広汎性発達障害の中の自閉症スペクトラムの中程度のアスペルガー症候群です」と書きました。

長年、教育に携わってきている恩師でしたら、この一文でアスペ子のことがわかってくれると思ったので、それ以上のこと(症状や特徴など)は書きませんでした。(恩師にだけはアスペ子が広汎性発達障害(アスペルガー症候群)と知っておいて欲しかったというアスペ子の気持ちもありました)

三通目のハガキに書いてあった〇〇は、アスペ子の最寄の駅から直通で約45分。行けない距離ではありませんが、恩師の都合もあるでしょうし、もし万が一、月曜の午前中なら空いていると言われたら・・通勤電車に乗らないと行くことができません。(主人が同行できるのは月曜のみ。他の日は仕事が詰まっています)

アスペ子は考えました。何が恩師にとって、主人にとって、アスペ子にとって良いのか・・を。

第一優先は恩師がアスペ子と会える時間です。その時間なら会えると言われれば、その時間にしか会えません。

しかし、上記にも書きましたが、土・日曜日はアスペ子が一人で電車に乗って、知らない土地へ行き、恩師に会い、また一人で電車に乗って、帰宅します。月曜はなんとかすれば主人の都合が取れそうですが、月曜日の朝晩は通勤、帰宅ラッシュです。その電車にアスペ子が約1時間乗っていられるかどうか、甚だ疑問です。

恩師から三通目の「8月初旬の土・日・月曜の3日間、〇〇に行きます」と書かれたハガキが来たのが4月。それからもう3ヶ月も経ってしまいました。

この3ヶ月で、アスペ子に何かしら、良い傾向が見られたり、アスペ子自身が大丈夫だと実感できたら、恩師に会いたいと、会う時間を作って欲しいと返事を書こうと思っていました。

当初、下書きに「会える時間がありましたらお会いしたいと思います」と書きました。

恩師は、アスペ子宅から飛行機で行かないといけない遠いところに住んでいるので、次にお会いする時がいつになるか見当もつかなかったからです。もしかしたら、もうお会いできないかもしれません。

しかし・・一晩寝てアスペ子の頭によぎったのは「これが今生の別れではないんだ」「恩師もハガキに健康状態を整えてからお会いしましょうと、言ってくれたんだ」

アスペ子は何を慌てていたのだろうか?

アスペ子は何を急いでいたのだろうか?

多分、恩師が〇〇に行きますと言ってくれたことが、アスペ子にとって、とてもとても嬉しかったのだと思います。今まで恩師からの手紙には、一切そういうことは書かれていませんでした。それが今回に限って、日にちまで教えてくれたので、アスペ子は浮き足立ってしまったのだと思います。

一言で言えば、懐かしい。もう少し深くいうと、アスペ子の大学時代(青春時代?)を多少なりとも知っている恩師に、アスペ子の大学時代の様子を聞いてみたかったのだと思います。でもそれは、もう過ぎ去った過去。

アスペ子は今は主人と共に先に向かって歩いているところです。過去を知ったところで、今には何も役には立たないような気がしているアスペ子です。

ですので、下書きに書いた「会える時間がありましたらお会いしたいと思います」を消して「今はまだ広汎性発達障害(アスペルガー症候群)の二次障害の治療中なので、うつ病の状態が安定してきたらお会いしたいと思いますので、またご連絡いただければ幸いです」と書き直しました。

今回の恩師からのハガキ(言葉)で「広汎性発達障害(アスペルガー症候群)という障害を持っていて、二次障害が安定していけば、「健康な体」である限りできないことなどない」ということを実感しました。

いつか、いつになるかはわかりませんが、恩師にもお会いしたいですし、主人が是非アスペ子を連れて行ってあげたい場所があるといっていますし、今は行ける日を楽しみに、毎日を元気で体調管理をしっかりとしていこうと思ったアスペ子でした。

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日記帳

Posted by アスペ子