一喜一憂はダメなんだな

急なうつ状態からなんとか抜け出たアスペ子です。

抜け出るきっかけは些細なことであったり、重要なことであったりといろいろです。今回はやはり主人との話し合いが功を奏しました。

あとは主人とのんびりと散歩をしたり、アスペ子の大好物のキャベツの千切りをザクザク切ったことが良かったようです。

わかってはいるのですが、マイナスなことが起きた時にガクンと沈んでしまったり、プラスのことが起きた時に異常にハイテンションになったりと、アスペ子は「一喜一憂」が極端すぎます。良い時もあれば悪い時もある、悪い時もあれば良い時もある。静かに時を刻むことがなかなかできません。

口を閉じて黙っていれば普通に見えるのに、知り合いや職場などでは、堰を切ったように喋り続けることが間々ありました。特に主人を前にすると、「あーでもない、こーでもない」と喋り続け、最終的には主人も「知らんがな〜」と笑って逃げて行ってしまいます。

今年の目標に、アスペルガー症候群の二次障害を軽減する(できればなくなるようにしたい)と掲げました。アスペルガー症候群の二次障害に悩み、苦しんでいる方にはよくわかると思いますが、そうそう普通の風邪のように撃退することはできません。

もちろん、一人で治すことは厳しいですし、協力してくれる人(家族、友人、同僚など)がいてくれればなんとか大事にはならずに済むでしょう。しかし、アスペルガー症候群の二次障害に悩み、苦しんでいる人、全てに協力者がいるとは限りません。

アスペ子は時々、今現在通院している心療内科に初めて行った時のことを思い出します。いつもは、目の前に他人がいると取り繕うアスペ子ですが、あの時は目の前に先生がいるのにもかかわらず、家ではなく病院なのにもかかわらず、爆発してしまいました。

主人は言葉こそ出しませんでしたが、先生に【見てください、妻のこの姿を】と目配せしていました。

先生は急に厳しい表情になり、安定剤を飲むようにアスペ子に錠剤をくれました。アスペ子はその時あたりから少しずつ正気に戻っていきましたが、頭はガンガン痛いし、何も考えることはできないし、椅子に座っているだけでやっとでした。今でも椅子に座って、その後、どうしたのか全く覚えていません。さらに言えば、通院を始めた最初の年、2013年の通院のことは全く覚えていません。

ただ一つ言えることは、いつもそばに主人がいてくれたからこそ通院ができたということです。その点では、いつも書いていますが主人には本当に感謝していますし、主人がいてくれて良かったと思っています。

もし初めて診察した時に一人で行っていたならば、話ができたかどうかもわかりませんが、発狂してしまい、結果、どこかの病院に入院していたかもしれません。

アスペ子は入院経験がないのでわからないのですが、アスペ子の知り合いの方が入院経験があり、時々、風の便りで様子が耳に入ってきます。

簡単に言うと、その方は入退院の繰り返しでした。短い入院の時もあれば、長い入院の時もありました。

それが2〜3年くらいか、もう少し長かったかして、今はなんとかグループホームで生活しています。障害は学習障害でした。幸いにもその方は、グループホームに入った途端、家族との接点もほとんどなくなり、その方は落ち着いたのか、グループホームによく馴染んでいるそうです。

スペ子も一時期、グループホームに入ることやデイケアのような場所に通うことを考えた時期がありましたが、家の中でうまく二次障害を治していこうと主人とも話し合ったので、今は、アスペ子のアスペルガー症候群の二次障害の改善を第一に生活を修正しています。

今までは、ある意味、アスペ子のミスでした。家計を支えるためにポイントやアンケートのような内職を(優先させて?)やったり、自分のことよりも家のこと、主人のことばかり気にしていました。特に2015年はそういう年でした。

そしてやっと2016年になり、4回目の引越しをしたことは、何を一番大切にするために引越しをしたのかを、やっとわかりました。それはアスペ子の二次障害をこの家が一丸となって治していくようにすることだったのです。もちろん、主たるはアスペ子。

アスペ子がもっと自覚しなければいけなかったのでした。前回のブログのように、「うつだ、うつだ」とばかり言っていたのでは、天岩戸も開かないですよね、なんて。

今年も始まったばかりです。来月は3月で下旬には桜が咲くでしょう。気持ち新たに、一喜一憂せずに、ゆっくりと着実に行こうと思う、アスペ子です。

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日記帳

Posted by アスペ子