誕生日とクリスマスとお正月

アスペ子は幼少期のことはよく覚えていませんが、こと、食べ物のこととなるとよく覚えていたりします。

昭和の真ん中以降生まれのアスペ子の時代は、まだ舗装されていない道があったり、河川の堤防も整備されていなかったり、今思うと自然に囲まれた生活だったように思います。

今年ももう10日が過ぎ、暖冬と言われているように寒さも朝方くらいで、日中はなんとか着ぐるみになっていれば暖房をつけなくてもいられるくらいです。

 

幼少期に楽しみだったことは今でも楽しみだ

アスペ子は両親共に高齢の時に生まれました。母親が39歳の時の子供です。今では高齢出産は一般的に近いものになっていますが、昭和の真ん中過ぎの当時は、高齢出産というと危険が伴うと耳にしたことがあります。

やはり、母親が高齢出産で、父親が35歳だったということも、アスペ子に何かしら影響していたのかもしれません。

そんな両親は、普段の食事はまさに昭和初期の食卓でした。4人の家族でメインのおかずが1つ。あとは野菜、野菜、野菜・・・味噌汁の具も野菜でした。アスペ子は苦手な(食べられない)野菜はないので食べていましたが、さすがに年齢が上がれば上がるほど野菜が嫌になってしまいました。

だから楽しみといえば、誕生日とクリスマスとお正月でした。

誕生日は、特に親友と呼ぶような友人ではありませんが、1〜3人の友人を呼んで、ケーキと三ツ矢サイダーとカレーとかっぱえびせんで誕生会を開きました。「おめでとう」「ありがとう」と言って、食べて遊んでさようなら。誰を呼んだかは覚えていませんが、食べたものはしっかり覚えています。当時のアスペ子にとって、毎年、母親が作ったカレーがご馳走でした。

クリスマスは、ケーキとカレーと子供用のシャンパンジュース。ケーキは父親が(多分)付き合いで買ってきてくれたバターケーキでした。それでもアスペ子は「わ〜いケーキだ」と言って喜んでいました。サンタはアスペ子が毎年、食べました。(でも内心は、山崎の生クリームのケーキがとても食べたかったです)

当時、母親は、アスペ子がまだ小さかったので、家で親戚の子の子守の内職をしていました。その子はアスペ子よりも3歳くらい年下だったような記憶があります。とてもかわいい女の子でした。

あるクリスマスの日、その子の母親が迎えに来た時、お世話になっているからと、なんとクリスマスケーキを持ってきてくれました。それは大きな箱で、山崎製菓の箱でした。

アスペ子は胸がドキドキして箱の中を見てみたら・・・2段重ねの生クリームのクリスマスケーキが鎮座していました!この年のクリスマスは父親の買ってきたバタークリームのケーキと、山崎の2段重ねの生クリームケーキの豪華な食卓でした。(翌年からはまたバターケーキのみに変わりましたが)

お正月は、お雑煮、きんぴらごぼう、煮しめくらいで、あとは頂き物の栗きんとんや数の子があったりなかったり。お正月は食べ物よりもお年玉の方が嬉しかったので、ゆっくり食べた記憶はありません。

当時は元旦にスーパーも閉まっていたし、コンビニもものすごく少なかったので、家の前で一人で遊んでいました。

月日が流れ、いつ頃からだったか、クリスマスだからといってケーキを食べなくなりました。誕生日も、アスペ子から言わないと忘れ去られていました。

世の中不況だったのでしょうか?アスペ子にはわかりませんが、寂しい思いは忘れてはいません。お正月も、嫌々親戚周りに連れまわされ、楽しかった思い出もありません。

やっとクリスマスのケーキを食べることができたのは、結婚してからです。

主人がわざわざ女性が群がっているケーキ屋さんから、イチゴがたくさん乗ったホールの生クリームケーキを買ってきてくれました。「最後の一つだったよ」と照れ臭そうに言っていたのが印象的でした。

感謝感激雨あられで、喜んでいたアスペ子です。もちろん食べた量は、1/4が主人、3/4がアスペ子です。その時アスペ子が作った料理は忘れてしまいましたが、ちょっとしたクリスマスパーティーになりました。

誕生日は、主人は必ず覚えていてくれて、何かしら用意してくれていました。一番嬉しかったのはアスペ子の好きな腕時計でいた。

アスペ子から主人には・・・仕事で着られるようにと衣類が多かったと思います。アスペ子はお小遣いが少なかったので、誕生日はプレゼントというよりも主人の好きなものを作りました。「美味しい」と言ってたくさん食べてくれるのが一番です。

今はクリスマスも誕生日も、特に何もしません。

その代わり、月に1回外食をして、食べられることに感謝してます。日々の食事でも、笑顔で食べればなんでも美味しくなります。

先日は主人のアイデアで水炊きに「処理済みの牛すじ」を入れて食べました。2日間は水炊きで食べて、3日目にシメの雑炊にしたのですが、これが絶品!もちろん味付けは主人です。こんな高級な雑炊は食べたことがないというくらいにダシが出ていて、二人して「またやろう!」とニコニコでした。

アスペ子が狂ってしまった1年5ヶ月前から、主人が時々食事の用意をしてくれるようになって、我が家の食卓が豪華になりました。

鍋でも下処理くらいはアスペ子ができるのですが、味付けはまだまだうまくできないので主人に味付けをしてもらいます。そうするとアスペ子が以前作っていた時よりもずっと美味しく出来上がるのですから、びっくりします。

主人が仕事をしていなければ、毎回、食事を作ってもらいたいくらいです。

買い物は少しずつできるようになってきたアスペ子ですので、少しずつ料理もできるようにしていきたいなと思います。

来年の元旦のおせち料理は最低限でやろうということになっていますが、今まで毎年、お正月はたくさんの料理を作っていたのにな・・と思うと、涙が出そうになります。情けないようななんとも言えない気持ちになってしまいます。

アスペルガー症候群で二次障害もあって、薬も飲んでいるのだから仕方ないのですが、やはり主婦として家にいる以上はキッチンに立って、お正月の準備に精を出したいという気持ちが溢れてきます。なのに、最低限のことしかできないなんて・・・

あまり下を向いてばかりいると、また頓服のお世話になってしまうので、前を向いて、一日一日を焦らずに、少しずつ少しずつ進んでいけば、またクリスマスも誕生日も、お正月も、いろんなものがたくさん作れるようになれるんだと思い、気持ちをしっかり持っていこうと思った12月の初旬でした。

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日記帳

Posted by アスペ子