改めて考えてみたアスペルガー症候群

アスペ子が働くにせよ、生活するにせよ、生きづらさを感じ始めた頃、ある出来事を境に気が狂った状態になってしまいました。

心療内科に通い始めて2年が過ぎ、ここでは大まかに「うつ病」と診断されました。

そして大人の発達障害の専門病院を紹介してもらい、検査したところ、発達障害の中の自閉症スペクトラムの中の「中程度のアスペルガー症候群」とほんの少しのADHDだと診断されました。

発達障害でも、その障害者一人一人、違った資質(個性)とでも言うのでしょうか、簡単に言うと性格というものがとても素直に現れて出るような気がしています。

例えば、アスペ子は本来の性格はとても根暗です。障害が出ている場合もありますが、陽と陰で例えるならば「陰」です。

リーダーシップもないし、「意見のある人!」と言われても、言いたくても手を上げないし、下校も一人で帰ることが苦にならないし。

中でも「笑う」ことが一番の苦痛でした。

頭の回転も遅かったのかもしれません。冗談を冗談と取れなくて真剣に考えてしまったり、どこが笑いどころなのかがわからなかったりすることが多かったです。

わからないからといって、特に悩んだり、くよくよしたりせずに成長してきたので菅、これはアダルトチルドレンのせいでしょう。両親がアスペ子を「〇〇家の血筋」の中に閉じ込め、アスペ子に線路を敷いていたのですから。

その線路から脱線し始めたのが、学生時代からでした。

各都道府県からやってきた同級生の中に、アスペ子は溶け込むことができませんでした。唯一の綱は両親から送られてくる仕送りでした。

今では「もっと真面目に大学で勉強していればよかったな」と思うことが時々あります。頭の中に物事がとどまらなくても、学ぶことは楽しいことです。

それができなかった当時のアスペ子は、アダルトチルドレンの線路が切れないように、お金に対して貪欲になっていってしまいました。

と同時に、アスペルガー症候群がアスペ子にあったため、もう自分一人では孤立から抜け出せない状態でした。お酒に走り、男に走り、食欲に走り・・そして就職をして、さらに自ら隠の方へ進んで行っていました。

このような経緯の中、結婚をしたわけですが、アスペ子自身は変わらずのアスペ子でした。主人に迷惑をかけ、家計の管理もうまくできず、食卓の上にはいつも同じものが並び、主人に言われた頃が頭にとどまらず、さすがに精神科に通いました。

しかし、途中挫折をしてしまい、服薬も途中でやめてしまたので、さらにアスペ子のアスペルガー症候群や二次障害に拍車がかかってしまいました。

それから15年以上経ちますが、先日、義妹と姪っ子が遊びに来た時に、アスペ子はカルチャーショックを受けました。

義妹も姪っ子も、障害者ですが何かの話に対して「大笑い」して楽しんでいる場面をアスペ子は、この目ではっきりと見ました。

アスペ子は愕然としました。その時に笑っていなかったのはアスペ子だけだったからです。多分、話が頭の中に入っていなかったということと、笑いどころがよくわからなかったということが重なって、一人、孤立してしまったのだと思います。

そしてこの夜、思いました。「障害者一人一人には脂質・性格があるんだな。アスペ子は、義妹や姪っ子とは違う障害だけれども、発達障害と大きな枠で見れば同じ障害者。アスペ子には笑うことが上手くできないんだな。」

確かにアスペルガー症候群の特徴として、喜怒哀楽がないとあります。アスペ子はそれでも喜怒哀楽は自分ではできると思っていました。少なくとも主人に対しては少しはできているのですから、義妹や姪っ子にも作り笑いではなく、本当の笑いができると思っていました。

それができなかったアスペ子は、義妹たちが帰ってから数日間、ちょっとうつ状態が出てしまいました。

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広汎性発達障害とは

Posted by アスペ子