広汎性発達障害の認知度はまだまだ?

実はアスペ子も、自分が広汎性発達障害の中の中程度のアスペルガー症候群と、ほんの少しの注意欠陥(AD)があると大人の発達障害の専門病院で診断されるまで、広汎性発達障害のことはよくわかりませんでした。

診断後は、アスペルガー症候群だけを貪るように検索して読み漁りましたが、障害の大元というか、全体を指して言う言葉「広汎性発達障害」のことは、あとから学びました。

 

要するに簡単に説明すると、広汎性発達障害とは「自閉症スペクトラム(自閉症・アスペルガー症候群)」のことを指し、この自閉症スペクトラムには、学習障害や注意欠陥・多動性障害も併発している場合があるということでしょう。

以前、あるサイトで「アスペルガー症候群は治る」と書かれていたものを目にしたことがありました。でも、これは今現在の医療では間違いです。アスペルガー症候群は先天性のもので、脳に何らかの障害があるものです。ある程度の訓練で多少は抑えられることはできても、先天性の障害あるので治ることはありません。

今から30数年前には「自閉症は母親の育て方が悪いからだ」と言われていました。それと同じように、アスペルガー症候群も「ただの怠け者、引きこもり」などと言われがちです。それは間違いであるということに、いったいどれくらいの人たちが理解しているのでしょうか?

「アスペ、アスペ」とからかい事の重大性をわかっていない人や、「発達障害?栄養が足りなかったの?」という人や、「できない奴」という人など、理解不足が今の日本なのではないかと思うときがあります。

それは、広汎性発達障害自体がまだまだ日本全体に理解されていないからなのではないかと思います。発達障害の人たちは、仕事・就労、友人・恋人関係、二次障害、生きづらさなどで、毎日苦しんでいます。

特に大人の発達障害だと分かった場合、ネガティブな人は、これからの人生に悲観する人が多いのかもしれません。逆に、ポジティブな人は障害だからといって死ぬわけではないんだと前抜きに物事を考える人もいます。

アスペ子の場合は、心療内科の先生や主人のおかげで、約2年で「前抜き、ポジティブ」と少しづつ思えるようになりましたが、仕事・就労に関しては腰が引けています。

心療内科の先生は「以前やっていた運動クラブを少しやってみるのもいいかもしれないね」と言ってくれたり、主人は「生活することを無理にしなくていいんだよ。ノンビリ焦らず。やりたいことをやればいいさ」と言ってくれます。

この点ではアスペ子は本当に恵まれていると実感しています。良いアドバイスをしてくれる人、話を聞いてくれる人、アスペ子を客観的に見てくれ指摘してくれる厳しさを与えてくれたりしてくれる人が身近にいるというのは、アスペ子にとって、本当に助かりますし、気持ちの支えにもなります。

しかし、広汎性発達障害の人の皆が皆、アスペ子のような境遇であるとは限りません。苦しみ、苦しみ、苦しんで、薬に頼る人、会社を辞めらざるをえない人、家族に理解されない人、社会から指をさされる人など、たくさんの苦悩を持った人がいると思います。

アスペ子も自分がアスペルガー症候群と知った後、自分のことについて考えて考えて、考えまくりました。どうしたら過去の償いができるのか、どうしたらアスペルガー症候群の特徴を出さずにいられるのか、どうしたら、どうしたら・・悩みに悩みました。

アスペ子がまず考えたのは、精神障害系のデイサービスに通うこと、グループホームに入ること。こうすることによって、何か自分の世界が変わり、良い方向に行くのではないかと思いました。

市の福祉課が出している、精神障害のしおりを読んで、デイサービスをやっているところ、グループホームをやっているところを見ましたが、アスペ子の住んでいる区では数が少なく、しかも精神障害を扱うホームが限られていました。

アスペ子は本音を言うと、落胆しました。幼児期の自閉症スペクトラム関係の療育は進んできているのにもかかわらず、大人の療育のようなシステムがなかったからです。まだまだ近年にわかってきた大人の広汎性発達障害とはいえ、ここまで何もなされていないとは思いませんでした。

次に、就労・就活を考えました。そこでアスペ子は、ハローワークの障害者求人を見ました。検索で出てきた企業は2件で、しかもそのうちの1社は備考欄に「階段あり、障害者用トイレなし」など、本当に障害者を受け入れようと思っているのか?と疑問を持ちました。つまり「障害者雇用制度の補助金」目当てなの?と思わざるをえなかったのでした。

アスペ子の中に「社会の中に出て働く」ということに対して、疑問が出始めてしまいました。

さらに、仮に就労できても、ジョブコーチがつくとは限りませんし、結局はコミュニケーション能力のないアスペ子にとって、社会の中で働くにはハードルが高すぎるのではないかという結論になってしまいました。

アスペ子の理想は、まずはグループホームや話し合いの会などでコミュニケーション能力をつけ、今でも主人以外にはできない「目と目を合わせて話(会話)ができる」状態になり、適材適所を与えてくれる会社で仕事をすることでした。

アスペ子は、そういったシステムがもう日本にはあるものだとばかり思っていました。

しかし、現実は全く違いました。

身体や知的、精神などの障害者には〇〇手帳というものがありますが、広汎性発達障害に関しては手帳すらないのと同様、社会に出て働くことさえ困難な状況だったのです。そうなると、結局は引きこもりがちになったり、うつ状態になったりと二次障害を引き起こしてしまい、悪循環が始まります。

アスペ子は空想や理想で物事を考える癖(性格?)がありますが、ここまで大人の発達障害に対して認知度が低く、重要性を感じていない社会(国政?)に対して、憤りを感じてしまいました。

人は皆、オギャーと生まれた瞬間から「死」を伴っています。それは健常者でも障害者でも、皆同じことです。そして誰もが精一杯生きているのも変わりがありません。

健常者だから、障害者だからといった枠を超え、もっと豊かな日本にするためには、日本人は日本人らしく「思いやりをもって」生きていくことが大切なのだとアスペ子は思いました。

大人の発達障害の人たちの中にはもがき苦しんでいる人がたくさんいます。言いたいことも言えない人もいます。何か嫌なことを言われても、言い返せない人もいます。アスペ子を含め、大人の発達障害の人たちは「大昔の座敷牢」の中にはいたくないのです。

では、どうすれば認知度が上がるのでしょうか?

それは・・アスペ子の頭ではまだわかりません。

自閉症の人がやっと認知されたように、ただ認知されるのを待つことしかできないのかもしれません。広汎性発達障害が医療的に解明される日を待つだけかもしれません。国政が、大人の発達障害が大問題だと動く日を待つだけかもしれまん。(しかし今現在は、少子化、高齢化社会が問題になっていて、目の前の問題にしか目が、手が向かなでしょうし、政治に頼るのは難しそうです。それが今の日本ですから仕方ないのでしょう)

こうなったら、認知度など考えることなく、上記にも書きましたが「オギャー=死」なのですから、思う存分、自分の人生を楽しみ、楽しんで生きていくことの方がより良い考えなのかなとアスペ子は思いました。

そう思ってからは生活が少しずつ変化し、今まで反抗心が出てくる心がなくなり、素直な気持ちになってきて、少しずつ焦らず物事を見ることができるようになりました。

天気の良い日は青空を見、雲のない夜は星を見、美味しいものを食べて美味しいと言い、嬉しいことを嬉しいと言い、今まで家庭環境や広汎性発達障害に縛られてきた皮(殻)をアスペ子自身が一枚一枚剥いでいくことで、一歩一歩、アスペ子の足で自ら社会の中に足を進めていくことの方が、待つよりもずっと楽しいなと気づきました。

人それぞれの意見、考え、生き方があるように、大人の発達障害の人たちにも、それぞれの意見、考え、生き方があります。

だからアスペ子は、広汎性発達障害の人たちを決して否定はしません。アスペ子が広汎性発達障害だからというのではなく、上記に書いたように「人それぞれの意見、考え方、生き方をまずは尊重しよう」と思えるようになったからです。

十人十色。人それぞれ。だからこそ「個性」があるのだと思います。

明日からではなく今から何かをしてみると、心が落ち着いてくることがあります。

迷っている気持ちがスゥッと消えていくときがあります。ただボケ〜っとするだけでも良し、寝たいだけ寝るのも良し、夕食をデリバリーにしても良し、鉛筆を小刀で削りまくっても良し。なんでも良いのです。(ただし警察にお世話になってはいけません)

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広汎性発達障害とは

Posted by アスペ子