受動型のアスペ子

再筆になりますが、広汎性発達障害(PDD)は、アメリカ精神医学会(DSM)による最新版(2013年5月)では、診断名が「広汎性発達障害」(PDD)から自閉症スペクトラム症・自閉症スペクトラム障害(ASD)になりました。

また広汎性発達障害は名称変更だけでなく、診断をつけるとともに「自閉症スペクトラム症・自閉症スペクトラム障害」(ASD)の重症度水準を特定するようにもなり、重症度に応じた支援を意識したものになりました。

アスペ子の広汎性発達障害のタイプは、以前の4つのタイプ、特に「受動型」が大きく影響しています。

今回はもう少し具体的に、日常生活でのことを書いていければなと思います。

 

広汎性発達障害の特徴の一つ、受動型

受動型

  • 他の人に自分から関わっていかないが他の人からの接触は嫌がらない
  • 言われたことにはなんでも従う
  • 嫌なことも受け入れてしまうので負担がかかりパニックを起こす
  • 他の人に自分から関わっていかないが他の人からの接触は嫌がらない

近所には同学年の人が3名ほどいましたが、同じクラスではなかったり、母親が付き合いがなかったりしたので、同級生同士で遊ぶといったことは皆無でした。今で言う「ママ友」があればまた違ったのでしょうが、母親は年齢も高く、近所付き合いは母親と同年代の人になってしまい、必然的にその近所付き合いの人の子供はアスペ子よりもずっと年上でした。

アスペ子はこの頃から、同年代の友人と遊ぶよりも、母親の付き合いのある人の家に一緒に行ったり、そこの年上の子供と遊んだりすることが楽しかったです。

ただし、アスペ子から「遊ぼうよ」とは言いませんでした。「アスペ子ちゃん遊ぼうか?」と言ってくれるのを待っているような感じでした。特にいつも母親が行っていた家の子供は、アスペ子よりも4歳くらい年上だったので、本当のお姉さんのように接していました。「こんなお姉さんがいたら良かったな」と思った記憶があります。

 

言われたことにはなんでも従う

今思うと、アスペ子は幼少期から両親の言いなりでした。

「あれしなさい」「これしなさい」「これはしてはいけない」など、両親が言ったとこが全ての世界で生きてきました。アスペ子自身は両親に言われたことに対して、何も疑問を抱かず「はい」「わかった」「うん」と言って従ってきました。

運動クラブに行き始めたこともその一つです。最初は「運動しに行って遊ぼう」と言われて行きました。あまり体を動かすことが好きではなかったアスペ子ですが、母親にそう言われてついて行きました。

行った場所は運動クラブで、あれよあれよという間にアスペ子は運動クラブの指導員の元で、運動させられていました。もともと不器用なアスペ子ですので、なかなかうまく体が動かせず、何度も何度もやり直し「もう嫌だ!」という思いが心に刻み込まれたアスペ子でした。

その運動クラブには、両親が「行きなさい」と言ったので、数回行きました。しかし一向に上手くならないアスペ子を見て、両親は違う運動クラブを探し出し、そこへアスペ子を入学させました。アスペ子はさすがにその時は運動クラブに行く理由(肥満解消)を知りましたが、自ら通う気にはならないままの入学となりました。

しかし両親は「良かった、良かった」と喜んでいたので、無知で言われたことには何でも従うアスペ子でしたから、「行くのが嫌だ、行きたくない」という感情すらありませんでした。例えて言うならば、機械的に通っていた感があります。(喜怒哀楽がなかったので特に何とも思わなかったのかもしれません)

 

嫌なことも受け入れてパニックを起こす

これは、運動クラブの時に初めて起こりました。中学3年生の時、精神的に不安定になり、季節も秋〜冬頃だったせいもあってか気持ちが全く入らない状態になってしまいました。

パニックらしいパニックはありませんでしたが、毎日通う運動クラブの道すがら、遠くに見える観光施設を心の支えにしてクラブに通っていました。そして「春になったら一人で行ってみよう」と誓っていたアスペ子でした。多分、心身共に相当なダメージがあった状況だったと思います。

春になり、誓った通りに一人で観光施設にバスで行きました。そこは季節外れなので人はいなく、ヒッソリとしていて、その時のアスペ子にとっては心地良い風景でした。終点に着き、施設まで坂道を登り、山頂まで行くと・・涙が溢れそうになりました。そして「毎日、苦しかった時に助けてくれてありがとうございました」と心の中で言いました。

次に起こったのは結婚後、二度目の引越しをした時です。山間の運動クラブで指導者としてパートで働き始めた時には、パニックになりました。

入社したのがちょうど11月だったので、クリスマス会の準備やら、大掃除やら、合宿やらで大忙しの時でした。アスペ子が通っていた運動クラブではクリスマス会などやったことがなかったし、大掃除も合宿も指導者がやっていたので、全くの未経験でした。(合宿は選手で参加していました)

まず最初にやってきたのがクリスマス会です。人の前で話をすることが非常に苦手だったので、ニコニコ作り笑顔しかできませんでした。何をやったのか、子供達が楽しんでいたのか、全く覚えていません。覚えているのは「これでクリスマス会は終わりです」の言葉だけでした。

合宿はアスペ子にとって、まず実施する期間に問題がありました。最終日がなんと12月31日の午前中だったのです。主婦にとって大晦日は一番忙しい日なのに・・アスペ子に子供がいないことがいいように使われてしまったんだと被害妄想になってしまいました。

また、メインの指導者からは何も話がなかったので、アスペ子は小さい子の面倒を見たり、サブで行くものと思っていたのですが、到着するといきなり「指導をしてくれ」と言われ、まさにパニックになりました。顔面蒼白です。でも、子供達がいる面前、何もできないでは済まされないので、なんとか時間を稼ぎながら指導しました。

その時から帰宅するまでの間、指導内容のことで頭がいっぱいになり、睡眠障害や便秘、めまいがひどくなりました。運動クラブから家に着くまでの間、どんな運転をして帰宅したのかも忘れてしまうくらいに疲労がピ−クになっていました。

受動型のアスペ子は、今でも受動型です。「セールスマンに断れない」「嫌と言えない」がわかりやすい例だと思います。

これは性格も多少は入っているのかもしれませんが、社会に出た場合、広汎性発達障害の特徴が出てしまったら、待っているのはパニックです。

アスペ子はすぐに人の顔色を伺ってしまい、受動型が勝手に出てきてしまいます。心より頭が先に動いてしまう感覚です。そういう時は拳で頭を叩いてしまいます。

この特徴とどううまく付き合っていけば良いのか、やはりこれも、少しずつでも訓練次第なのでしょうか?時間はかかりますが、脳の中で勝手に動いているものを躾けないといけないんだな、と思ったアスペ子でした。

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障害に対する悩み

Posted by アスペ子